まずはやってみる、役割として働くと新しい仕事ができる
面白がると仲間が増えて、仕事が広がっていく
市内の畑にて
奥田さんは、cocobunjiで「ぶんかターミナルコーディネーター」として勤務。民間のカウンセラー資格を取得し、心と身体の相談も行っておられるとのこと。市内のお店などで『こくベジ』のタペストリーを見かけたことがある方も多いと思いますが、奥田さんはこのプロジェクトのブランディングから参加し、現在は仲間と『こくベジ』の配達を行っています。また国分寺ではもうお馴染みになったイベント『ぶんぶんウォーク』にも、立ち上げから関わり10年以上事務局を務めてこられました。
国分寺で有機的に人が繋がることで広がった多くのプロジェクトやイベントに様々な形で関わってこられた奥田さん。自分の住む街で誠実に柔軟に働いてこられた奥田さんの“これまで”と“これから”についてじっくりお話をうかがいました。
※カウンセラーの民間資格
※『こくベジ』とは、国分寺市が地方創生先行型事業の一環として始めたプロジェクト。
現在は、JA・商工会・観光協会を中心に地産地消を目標に取り組んでいる。
今までの仕事
1. インプット中心の毎日
大学ではマーケティングを学びながら、心に関心を持ちカウンセリングを独学していたそう。在学中から新聞営業、サプリメントの販売、ポケベル・携帯電話の販売など様々なバイトをし、その後就職せず、携帯電話、新聞販売などの仕事に従事され、営業成績もよく、賞をとることもあったそうです。
2000年2月に国分寺の新聞販売店に就職。親元を離れ一人暮らしをすることに。新聞配達は早朝の仕事。まだ誰も起きていない時間に働き、時間を有効に使うことができたそうです。新聞配達をしながら新しく引っ越してきた人を見つけて、新聞販売に繋げるなど街の変化を素早く察知していた奥田さんは、多摩でトップクラスの営業成績を上げて就職3年目で販売店の店長を務めるようになりました。この頃は、起業本や自己啓発本を読みあさり、アンテナを常に立て時代の先を読むためにインプット中心の毎日だったとのことです。
2.地域とつながる
店長になられてからは、新聞販売の仕事を通して折り込みチラシを有効活用して地域の役に立つこと、活動している人を応援することを積極的に行い、地域と関わっていったと言う奥田さん。
地域でネットワークが広がり、様々なメディア(『武蔵ジャーナル』『武蔵チャンネル』『アサココ』)やプロジェクト『ぶらぶらマップ』、『ぶんぶんウォーク』等の立ち上げに関わっていかれることになります。地域活動を通じて市内の店舗や商店会と繋がり、活動仲間も増えていきました。奥田さんは、国分寺のイベントやプロジェクトなどのメンバーの一人として地域で活動する人にとって欠かせない存在になっていきました。
3.カウンセリング術との出会い
そんな奥田さんに訪れた転機は、2012年に学生時代とは違うカウンセリングを受けたこと。もともと心に関心があり大学卒業後もカウンセリングの資格を取り、心や健康相談なども行っていた奥田さんの向学心が呼び覚まされました。これを機にカウンセリングを再度学びたいと、仕事の合間を見つけてカウンセリング術を勉強し直しました。改めてカウンセリング術を学んだことで、自分自身の仕事との向き合い方も見直すことができたとのこと。
「今までのインプット中心の生活は、自分の不足を埋めるためだったと思います。頭で考えすぎる毎日は、未来のために今を犠牲にしていたと気づきました。そしてカウンセリングを学んだ後は、自分の不足を自然に受け入れられるようになり、今を大事にして生きる生活へとシフトチェンジする事ができました」と当時を振り返って話して下さいました。
こくベジ号で配達中の奥田さん
4.新しい働き方へ
2013年に新聞販売店を退職。しばらくカウンセリングの勉強をしながら、地域の活動を続けていたそうです。『ぶんじバイク便(BBB)』や知り合いのカフェの買い出しを手伝ったりという地域活動を続ける中で、街に野菜を配送するインフラがあれば色々な可能性をひろげることができること、同時にこれを仕事にしていくのが難しいため誰もそこに手を挙げないことがわかったそうです。
2015年度、国分寺市が地方創生先行型事業として『こくベジ』プロジェクトを立ち上げた際、奥田さんの地域活動の実績からプロジェクトメンバーとして声がかかり、ブランディングの仕事に関わることになりました。
プロジェクト内でも「誰かが野菜の配送をしないと運営が難しい」という話になり、地域の活動仲間と「それなら僕たちで配達してしまおう」とプロジェクトと並走して『こくベジ』の配送(こくベジ便)も担当することになったそうです。
これまでに積み上げてきた地域の人との繋がりとマーケティングや販売経験を基に『こくベジ』が日常に組み込まれる仕組みを作り、営業をせず、口コミで広がっていく事を大事にした新しい働き方のスタイルを作り上げました。
※『BBB』とは、地域通貨『ぶんじ』に関わりのある人たちのものを運ぶサービス。お礼として『ぶんじ』で受け取るプロジェジェクト。
現在の仕事
Cocobunjiプラザ勤務時の奥田さん
奥田さんは現在、cocobunjiで『ぶんかターミナルコーディネーター』として月に10日働き、cocobunjiプラザなどで開催するイベントのコーディネートをされています。週に2〜3回の『こくベジ』の配送管理をしながら月に1,2回実際に配達も行っています。
『こくベジ』は、食を中心にして、作る係(農家)、届ける係(こくベジ)、食べる係(店舗や街の人)という、それぞれが役割分担して成り立っている。日常にこの仕組みを組み込み、その役割を一人でやらず仲間と動くことで新しい仕事ができた。また地域の仕事と並行してカウンセラーとして心と身体のカウンセリングも行っているそうです。
「与えられた仕事をこの街でやらせていただいていると言う姿勢で常に仕事をしている」という奥田さん。働くことをそうとらえるようになってからは協力者も得やすく、仕事も広げやすくなったとのこと。「活動が相互的に有機的に繋がって仕事になっていくことが大事だと思う。自分の住む街で自己実現できる今の環境は素晴らしいと思っています」と現在の状況について語ってくださいました。
奥田さんの時間の有効利用ポイント
朝時間を活用し、家事は同時進行で行うこと。
早朝に進行中のプロジェクトの定例ミーティングやひとり会議をおこない朝時間の有効活用をしています。家事も、お風呂を沸かしながら洗濯をして。その間に翌日の持ち物の準備をするなど、常に意識して2つ以上のことをやるようにしています。
奥田さんにとってはたらくこととは?
はたらくことは、生きることそのものだと思う。経済的(衣食住)なことは、なんとかなるものだと思っている。
そして面白がること。次へのきっかけを作ること。
人生で無駄なことは一つもない。迷ったらやってみる。そこから学ぶことも多い。自分にストップをかけることを止める。自分自身に嘘をつかないこと。本当のことを言わないと自分の本意ではない道にすすむことになると思う。今まで関わってきたプロジェクトやイベントも失敗していることの方が断然多いが、その失敗も全て次のステップの役に立っていると思う。
以前、タレントの神田うのが「私の職業は、神田うの」と言っていたと友人から教えてもらいました。これは「職業は○○です、ではなく自分自身だ」ということ。何かになるということが目標になってしまっている人が多いと思うけれど、何かになるのではなく常に自分自身でいることで力を発揮できると思う。(奥田さん談)
これからの仕事について
世の中に名を残すことよりも物事の本質を極めて、何らかの影響を残せる仕事をしたい。
人生で実現不可能なことはないと思っている。遠くの目標も、身近にできることに落とし込んでコツコツ継続することで遠くまで行けると思う。自分自身の名前「大介」のように「大きく介する人」として小さな流れを続けていくことで大きな流れにしていきたい。
具体的には、現在行っているこくベジの試みを国分寺以外でも展開していきたいと思っている。まだ企画段階だが、年内には東京全体の地産地消を進めるプロジェクトと連携していくことを準備中。
奥田さんにとってのぶんハピごはん 国分寺歴32年
チャイニーズレストラン 『オトメ』の唐揚げ丼・ニラレバ・高菜そばなど
身体が喜ぶ美味しいものを食べたいと思うと『オトメ』に行っちゃいます。
取材を終えて
いつ会っても笑顔で穏やかな印象の奥田さん。今まで奥田さんが愚痴を言ったり、怒ったりしている所を見たことがないのですが、喜怒哀楽が激しい私としては、いつもその心の安定を羨ましく思っていました。
そして奥田さんが物事を常に客観的に眺めている人だなと感じていた理由を今回の取材で知ることができた気がします。奥田さんの取材をしたいと思いながら、今日まで来てしまったのには、何か意味がある気がしています。奥田さんがこれまで国分寺で着実にしっかりと根をはってきた活動が、今後さらに枝葉を伸ばしどんな花を咲かせていくのか楽しみです。
取材:CHEERS