奥田大介さん (ココブンジプラザ ぶんかターミナルコーディネーター・『こくベジ』配送担当、カウンセラー)

まずはやってみる、役割として働くと新しい仕事ができる
面白がると仲間が増えて、仕事が広がっていく

市内の畑にて

奥田さんは、cocobunjiで「ぶんかターミナルコーディネーター」として勤務。民間のカウンセラー資格を取得し、心と身体の相談も行っておられるとのこと。市内のお店などで『こくベジ』のタペストリーを見かけたことがある方も多いと思いますが、奥田さんはこのプロジェクトのブランディングから参加し、現在は仲間と『こくベジ』の配達を行っています。また国分寺ではもうお馴染みになったイベント『ぶんぶんウォーク』にも、立ち上げから関わり10年以上事務局を務めてこられました。

国分寺で有機的に人が繋がることで広がった多くのプロジェクトやイベントに様々な形で関わってこられた奥田さん。自分の住む街で誠実に柔軟に働いてこられた奥田さんの“これまで”と“これから”についてじっくりお話をうかがいました。

※カウンセラーの民間資格

※『こくベジ』とは、国分寺市が地方創生先行型事業の一環として始めたプロジェクト。

現在は、JA・商工会・観光協会を中心に地産地消を目標に取り組んでいる。

今までの仕事

1. インプット中心の毎日
大学ではマーケティングを学びながら、心に関心を持ちカウンセリングを独学していたそう。在学中から新聞営業、サプリメントの販売、ポケベル・携帯電話の販売など様々なバイトをし、その後就職せず、携帯電話、新聞販売などの仕事に従事され、営業成績もよく、賞をとることもあったそうです。

2000年2月に国分寺の新聞販売店に就職。親元を離れ一人暮らしをすることに。新聞配達は早朝の仕事。まだ誰も起きていない時間に働き、時間を有効に使うことができたそうです。新聞配達をしながら新しく引っ越してきた人を見つけて、新聞販売に繋げるなど街の変化を素早く察知していた奥田さんは、多摩でトップクラスの営業成績を上げて就職3年目で販売店の店長を務めるようになりました。この頃は、起業本や自己啓発本を読みあさり、アンテナを常に立て時代の先を読むためにインプット中心の毎日だったとのことです。

2.地域とつながる
店長になられてからは、新聞販売の仕事を通して折り込みチラシを有効活用して地域の役に立つこと、活動している人を応援することを積極的に行い、地域と関わっていったと言う奥田さん。

地域でネットワークが広がり、様々なメディア(『武蔵ジャーナル』『武蔵チャンネル』『アサココ』)やプロジェクト『ぶらぶらマップ』、『ぶんぶんウォーク』等の立ち上げに関わっていかれることになります。地域活動を通じて市内の店舗や商店会と繋がり、活動仲間も増えていきました。奥田さんは、国分寺のイベントやプロジェクトなどのメンバーの一人として地域で活動する人にとって欠かせない存在になっていきました。

3.カウンセリング術との出会い
そんな奥田さんに訪れた転機は、2012年に学生時代とは違うカウンセリングを受けたこと。もともと心に関心があり大学卒業後もカウンセリングの資格を取り、心や健康相談なども行っていた奥田さんの向学心が呼び覚まされました。これを機にカウンセリングを再度学びたいと、仕事の合間を見つけてカウンセリング術を勉強し直しました。改めてカウンセリング術を学んだことで、自分自身の仕事との向き合い方も見直すことができたとのこと。

「今までのインプット中心の生活は、自分の不足を埋めるためだったと思います。頭で考えすぎる毎日は、未来のために今を犠牲にしていたと気づきました。そしてカウンセリングを学んだ後は、自分の不足を自然に受け入れられるようになり、今を大事にして生きる生活へとシフトチェンジする事ができました」と当時を振り返って話して下さいました。

こくベジ号で配達中の奥田さん

4.新しい働き方へ

2013年に新聞販売店を退職。しばらくカウンセリングの勉強をしながら、地域の活動を続けていたそうです。『ぶんじバイク便(BBB)』や知り合いのカフェの買い出しを手伝ったりという地域活動を続ける中で、街に野菜を配送するインフラがあれば色々な可能性をひろげることができること、同時にこれを仕事にしていくのが難しいため誰もそこに手を挙げないことがわかったそうです。

2015年度、国分寺市が地方創生先行型事業として『こくベジ』プロジェクトを立ち上げた際、奥田さんの地域活動の実績からプロジェクトメンバーとして声がかかり、ブランディングの仕事に関わることになりました。

プロジェクト内でも「誰かが野菜の配送をしないと運営が難しい」という話になり、地域の活動仲間と「それなら僕たちで配達してしまおう」とプロジェクトと並走して『こくベジ』の配送(こくベジ便)も担当することになったそうです。

これまでに積み上げてきた地域の人との繋がりとマーケティングや販売経験を基に『こくベジ』が日常に組み込まれる仕組みを作り、営業をせず、口コミで広がっていく事を大事にした新しい働き方のスタイルを作り上げました。

※『BBB』とは、地域通貨『ぶんじ』に関わりのある人たちのものを運ぶサービス。お礼として『ぶんじ』で受け取るプロジェジェクト。

現在の仕事

Cocobunjiプラザ勤務時の奥田さん

奥田さんは現在、cocobunjiで『ぶんかターミナルコーディネーター』として月に10日働き、cocobunjiプラザなどで開催するイベントのコーディネートをされています。週に2〜3回の『こくベジ』の配送管理をしながら月に1,2回実際に配達も行っています。

『こくベジ』は、食を中心にして、作る係(農家)、届ける係(こくベジ)、食べる係(店舗や街の人)という、それぞれが役割分担して成り立っている。日常にこの仕組みを組み込み、その役割を一人でやらず仲間と動くことで新しい仕事ができた。また地域の仕事と並行してカウンセラーとして心と身体のカウンセリングも行っているそうです。

「与えられた仕事をこの街でやらせていただいていると言う姿勢で常に仕事をしている」という奥田さん。働くことをそうとらえるようになってからは協力者も得やすく、仕事も広げやすくなったとのこと。「活動が相互的に有機的に繋がって仕事になっていくことが大事だと思う。自分の住む街で自己実現できる今の環境は素晴らしいと思っています」と現在の状況について語ってくださいました。

奥田さんの時間の有効利用ポイント

朝時間を活用し、家事は同時進行で行うこと。
早朝に進行中のプロジェクトの定例ミーティングやひとり会議をおこない朝時間の有効活用をしています。家事も、お風呂を沸かしながら洗濯をして。その間に翌日の持ち物の準備をするなど、常に意識して2つ以上のことをやるようにしています。

奥田さんにとってはたらくこととは?

はたらくことは、生きることそのものだと思う。経済的(衣食住)なことは、なんとかなるものだと思っている。
そして面白がること。次へのきっかけを作ること。
人生で無駄なことは一つもない。迷ったらやってみる。そこから学ぶことも多い。自分にストップをかけることを止める。自分自身に嘘をつかないこと。本当のことを言わないと自分の本意ではない道にすすむことになると思う。今まで関わってきたプロジェクトやイベントも失敗していることの方が断然多いが、その失敗も全て次のステップの役に立っていると思う。

以前、タレントの神田うのが「私の職業は、神田うの」と言っていたと友人から教えてもらいました。これは「職業は○○です、ではなく自分自身だ」ということ。何かになるということが目標になってしまっている人が多いと思うけれど、何かになるのではなく常に自分自身でいることで力を発揮できると思う。(奥田さん談)

これからの仕事について

世の中に名を残すことよりも物事の本質を極めて、何らかの影響を残せる仕事をしたい。
人生で実現不可能なことはないと思っている。遠くの目標も、身近にできることに落とし込んでコツコツ継続することで遠くまで行けると思う。自分自身の名前「大介」のように「大きく介する人」として小さな流れを続けていくことで大きな流れにしていきたい。

具体的には、現在行っているこくベジの試みを国分寺以外でも展開していきたいと思っている。まだ企画段階だが、年内には東京全体の地産地消を進めるプロジェクトと連携していくことを準備中。

奥田さんにとってのぶんハピごはん 国分寺歴32年

チャイニーズレストラン 『オトメ』の唐揚げ丼・ニラレバ・高菜そばなど
身体が喜ぶ美味しいものを食べたいと思うと『オトメ』に行っちゃいます。

取材を終えて

いつ会っても笑顔で穏やかな印象の奥田さん。今まで奥田さんが愚痴を言ったり、怒ったりしている所を見たことがないのですが、喜怒哀楽が激しい私としては、いつもその心の安定を羨ましく思っていました。
そして奥田さんが物事を常に客観的に眺めている人だなと感じていた理由を今回の取材で知ることができた気がします。奥田さんの取材をしたいと思いながら、今日まで来てしまったのには、何か意味がある気がしています。奥田さんがこれまで国分寺で着実にしっかりと根をはってきた活動が、今後さらに枝葉を伸ばしどんな花を咲かせていくのか楽しみです。
取材:CHEERS


第6回 多田純子さん  (ぶんぶんうぉーく・てのわ市事務局スタッフ、グラフィックデザイナー)

今回は、国分寺を歩いて街の魅力を発見するイベントとして「ぶんぶんうぉーく」の事務局&総合パンフレットの制作などを担当する、多田純子さんに登場して頂きます。今年で10回目となるぶんぶんうぉーく。私たち「ぶんハピねっと」も初年度から関わらせていただいているイベントです。多田さんが関わってきた地域活動の、これまでとこれからをじっくり伺いました。

多田純子さんのプロフィール

宮崎県出身 武蔵野美術短期大学入学と同時に上京。卒業後、企画デザイン会社などでグラフィックデザイナーやアートディレクターとして働く。2004年に結婚。以後、フリーのグラフィックデザイナーとして活動を始める。2008年より「国分寺モリタテ会」に参加。『ぶらぶらマップ2号』の制作スタッフとして地域デビュー。2011年から「ギャラリーうぉーく」、「ぶんぶんうぉーく」の実行委員、事務局、さらにパンフレット制作にも携わる。2018年からは、多摩・武蔵野エリアで活躍するクラフト作家や店舗を迎えたイベント「てのわ市」や「てのわ夜市」などを立ち上げ、「てのわ部」運営メンバーとして活動中。

国分寺市在住。


地元を知る&ぶらぶらマップで地域デビュー

阿多 ご出身は宮崎県とのことですが、国分寺との関わりは大学に入学して上京されてからですか?

多田さん(以下呼称省略) そうですね。18歳で上京して、最初の下宿先が国分寺の東元町だったんですよ。翌年、大学の友人達と一緒に1年間小平に住んで、卒業後は、就職を機に通勤に便利(笑)という理由で国分寺に戻りました。まだ、国分寺に特快が停まらなかった時代ですけどね。(国分寺に特快が停まるようになったのは1989年から)それ以来、ずっと国分寺に住んでいるんですが、仕事に行って帰る場所というだけで地域のことは全く知らずに暮らしてました。

阿多 そんな多田さんが、地域活動に参加するきっかけは何だったのですか?

多田 長く国分寺に住んでいるのに地域のことは全く知らないという生活に、これでいいのかなと思い、結婚後「仕事を辞めても続けてもどちらでもいいよ」とだんなさんが言ってくれたこともあって、生活者として地元で地に足のついた生活をしようと会社員を辞め、しばらく家にいることしました。そんなとき、マンションの役員の方から声をかけられ、マンション内のレクリエーション委員会(※1)を手伝うようになったんです。今思えばこのマンションに住んだことも地域を知るきっかけですね。

※1:現在の名称は、コミュニティー委員会

阿多 マンション内のレクリエーション委員会って、あまり聞いたことがありませんね。

多田 国分寺で一番歴史のあるマンションだったためか、マンション内のコミュニティがとてもしっかりしていたんですよ。年に4回ほど『マンション便り』が発行されたり、以前は月1回の街歩きの会があったり、旅行があったりしたそうです。現在は、月1回『日曜喫茶』と題した茶話会やマンションの集会室での『飲み会』、夏は、納涼祭というバーベキュー大会、忘年会、新年会などがあります。

ぶらぶらマップ第1号(手前)とVol,1〜4

阿多 今もかなり充実してますね。現在のマンションに住まれたことが、地域活動の大きなキーになっていますね。そして、『ぶらぶらマップ』の参加が地域活動デビューとなって、現在の活動に続いていくんですね。

多田 そうなんですよ。たまたま、知り合いから「友人が絵を描ける人を探している」と声がかかり、よくわからないままミーティングに参加し、気付いたら「国分寺モリタテ会」(※2)のメンバーになっていました。

ちょうどこれから『ぶらぶらマップ2号』を作ろうとしている時で、保坂さんご夫婦、奥田さん(当時新聞販売店勤務)、野口さん(2010年まで発行の地域情報誌『武蔵野から』発行人)が初期のメンバーでした。

※2:「国分寺モリタテ会

1級建築士で、ギャラリーウノビックのオーナーである保坂さんが立ち上げた会。地域の魅力を伝える『ぶらぶらマップ』(Vol.1~4)を作成している。国分寺の紀伊國屋書店、文具店の山水堂、おたカフェなどで販売中。

 

ギャラリーうぉーく、ぶんぶんうぉーくへの参加

阿多 『ぶらぶらマップ』に参加した後、「ギャラリーうぉーく」(※3)や「ぶんぶんうぉーく」(以下「ぶんぶん」と表記)の立ち上げから関わっていらっしゃいますね。それぞれが誕生した経緯などを教えてもらえますか?

※3:ギャラリーうぉーく

「国分寺モリタテ会」の保坂さんが中心になってスタート。食もアートとしてとらえ、ギャラリーだけでなくカフェなども参加している。

多田 全ての始まりは『ぶらぶらマップ』なんですよ。きっかけは、カフェスローオーナーの吉岡さんが、『ぶらぶらマップ』を見つけて、当時新聞販売員だった奥田さんから保坂さんを紹介してもらったことなんです。それまで府中にあったカフェスローが国分寺に移転してきたのと、会社員だった高浜さんがおたカフェをオープンした時期が同じ頃だったので、吉岡さんも高浜さんも何か国分寺でイベントをやりたいと考えていたようです。

阿多 吉岡さんと高浜さんをつないだのも、奥田さんですよね。現在も「ぶんぶん」の事務局を担当して、企業から協賛金を集めたり、新聞販売店の仕事で培った商店街との繋がりを広げたりと、彼がいなかったらこのイベントは実施されなかったかもしれないくらい重要な人物ですよね。

多田 本当にそうですね。奥田さんがいてくれたお陰で個性的なメンバーをつなぐことができて、イベントもスタートができましたからね。そして、企画がスタートした2010年は、ちょうど都立武蔵国分寺公園の公園管理が都から「NPO法人バース」に変わった年でした。バースの蜂須賀さんや宮奈さんたちもちょうど公園で何かイベントをしたいと考えていたこともあり、「ぶんぶん」に積極的に参加してくれたことも大きかったですね。

阿多 それまで武蔵国分寺公園のイベントといえば国分寺まつりくらいしかなかったですからね。バースさんに変わってから、公園がすごく魅力的な場所になりましたね。

ぶんぶんうぉーく開催時、おたカフェ前の湧水タウンの様子

多田 宮奈さんたち公園側の協力がなかったら、「ぶんぶん」はここまで大きく広がらなかったんじゃないかと思います。

阿多 2010年の国分寺には色々な力やエネルギーが集まってきていて、今思えば「ぶんぶん」は、生まれるべくして生まれたイベントだったということですね。

阿多 「ぶんぶん」と一緒に「ギャラリーうぉーく」も同時開催という形でスタートしましたよね。

多田 保坂さんは、「ギャラリーうぉーく」をどうしてもやりたかったので、「ぶんぶん」と同時開催としました。当初は、「ギャラリーうぉーく」と「クラフトヴィレッジ」のスタッフとして「ぶんぶん」に参加していました。

阿多 第1回目の「ギャラリーうぉーく」と「クラフトヴィレッジ」の運営は、大変だったんじゃないですか?

多田 出店する作家さんを集めるのが大変でしたね。市内に多くのギャラリーがなかったので、保坂さんの発案で「公園にクラフト作家さんを集めたテントギャラリーを作ろう」ということで「ギャラリーうぉーく」+「クラフトヴィレッジ」という形での開催だったんです。

阿多 「クラフトヴィレッジ」の作家さんは、どのようにして募集したんですか?

多田 最初の年は、公募ではなくインターネットで見つけたり、知り合いのクラフト作家さんに声をかけたり、知り合いからお友達を紹介してもらったりしました。作家さんを求めて、都内のクラフトイベントに企画書を持って行ったりしたんですよ。また、ギャラリーだけでなく飲食店やカフェ、個人宅などにも直接足を運んで、絵画やクラフト作品の展示などを協力してもらったりもしました。

多田さんが制作を担当する「ぶんぶん」の総合パンフレット

阿多 何かを始めるときは、色々な苦労がありますよね。2013年からは「ぶんぶん」の事務局と総合パンフレットの制作も担当されてますよね。不安などなかったのですか?

多田 事務局は、手伝ってほしいと声をかけられたのと、総合パンフもスケジュール管理さえしっかりしていれば大丈夫と思い、引き受けました。基本、イベントなどプロジェクトをサポートするのは、好きな分野だったのでなんとかなると思っていましたね。

阿多 第1回目の「ぶんぶん」は、2011年9月に開催されましたね。実は、私たち「ぶんハピねっと」も同じ年の10月にスタートしたんですよ。初年度は受付をお手伝いさせて頂き、2年目はベビーグッズのxChangeで参加、3年目からは実行委員として親子タウンの企画を担当しました。多田さんとはそこからのお付き合いですね。それにしても9月開催は、お天気には悩まされましたね。

多田 そうですよね。当初は、9月の開催だったので、毎年のように雨や台風など悪天候の日があり苦労しました。特に2013年の「ぶんぶん」は、台風が直撃して、公園や「クラフトヴィレッジ」など屋外イベントが、残念なことに全て中止になりました。

阿多 その年は、後日「クラフトヴィレッジ」のリベンジ開催がありましたね。

リベンジ開催したクラフトマルシェの様子

多田 公園側から「ぶんぶん」のリベンジ開催をしようと声をかけてもらい、11月に武蔵国分寺公園で飲食店数店舗と一緒にクラフト作家さんに声をかけて、「クラフトマルシェ」と称して開催しました。イベントは、お天気にも恵まれ、とても好評でした。その成功もあって翌年からは、「ぶんぶん」の開催も現在の11月に変更しました。さらに季候の良い5月に「緑のギャラリーうぉーく」(※4)を新たに開催(2014年〜2017年)し、「ぶんぶん」と同時開催の「紅葉のギャラリーうぉーく」(2011年〜)と2014年からは年に2回「ギャラリーうぉーく」を開催することになりました。

※4:もともと「ぶんぶんうぉーく」は、季候の良い5月開催を予定していたイベント。東日本大震災が起きたため、開催が9月に延期になりました。そこで、「ギャラリーうぉーく」だけでも5月開催したいということで「緑のギャラリーうぉーく」がスタートしました。

 

自分たちも楽しめるイベント「てのわ市」の立ち上げ

楽しさが伝わる第1回目のてのわ市のフライヤー

阿多 「緑のギャラリーうぉーく」は、2018年で終了し、その代わりに登場したのが「てのわ市」ですね。

多田 年2回、春と秋の「ギャラリーうぉーく」、「ぶんぶん」でのクラフトヴィレッジ開催で多摩・武蔵野エリアの作家さんとの繋がりを広げることができました。その反面、イベントを継続していくためのサポートが年々ルーティーン化していって「これからは、もっと自分たちが楽しめること、自分たちが選んだ人に出店してもらえるようなイベントもやりたいね」という思いが出てきました。それで、今まで一緒に活動してきた武蔵野美術学院の学院長山内さん、くるみギャラリーオーナーの寺口さん、イラストレーターで陶芸家の堀込さん達と「てのわ部」を作り「てのわ市」を立ち上げ、第1回目を2018年6月に武蔵国分寺公園のこもれび広場にて開催しました。

木々の緑が美しいこもれび広場で開催された「てのわ市」

阿多 私たちも初年度の「てのわ市」にワークショップで声をかけて頂き参加しました。お天気もよく、たくさんの来場者で、大成功でしたね。会場のこもれび広場は、大きな木となだらかな斜面の丘があり、良いロケーションですよね。

多田 初めてのイベントで準備も大変でしたし、どのくらいの方が来てくれるのか全てにおいて手探りだったのですが、お陰様で1回目も2回目も天候にも恵まれてたくさんの方に来ていただき、嬉しかったですね。

阿多 準備は相当大変だったと思います。会場で使う手作りの旗など全てスタッフが1枚ずつ、シルクスクリーンで手刷りしたそうですね。デザインのセンスも良くて素敵でした。

多田 そうなんですよ。予算がないなか全て手弁当でした。大量のテントは、ギャラリーうぉーくで毎年少しずつ購入したものを、保坂さんからお借りするなどして色々助けてもらいしました。また、保坂さんには出店者として「てのわ市」にも参加してもらいました。2019年、2回目の「てのわ市」では、新しい試みとして「森の中美術館」を開催しました。場所は、こもれび広場の奥にある野鳥の森で、美術作品を10点ほど展示しました。見た方から「とてもよかった。1日で終了してしまうのはもったいない」とお声を頂いたこともあって、次回は「てのわ市」前後も楽しんでもらえるようにしたいと計画しています。

阿多 「緑のギャラリーうぉーく」とは別企画運営のイベントとして「てのわ市」を開催されてきたわけですが、「ぶんぶん」でのクラフトヴィレッジは、続けて開催されていますよね。

多田 現在のクラフトヴィレッジの出展は、公募でアマチュアのクラフト作品も出店可能にしています。「てのわ市」では、公募をせず、私たち運営メンバーがお薦めしたい、多摩・武蔵野エリアでプロとして活動するクラフト作家さんや魅力ある店舗さんに参加してもらっています。

お客さんで賑わう第1回目のてのわ夜市の様子

阿多 それぞれで棲み分けたクラフトイベントなんですね。また、10月には「てのわ夜市」も開催しましたよね。

多田 「てのわ夜市」は、国分寺マンションの地下1階にあるアンティークアベニューにて開催しました。2つも新しい事を始めた上に、「ぶんぶん」もあって、正直ヘロヘロになりましたが、楽しかったですね。

阿多 「てのわ夜市」、夜市という響きが魅惑的ですし、夜のお祭りと想像するだけでワクワクしますね。私も伺いましたが、個性的なお店が出ていて、小規模ながら出展する人も楽しんでいる感じが伝わってくる魅力的なイベントだなと思いました。

多田 夜市では、アンティークアベニューの店舗にも協力していただきました。普段、昼間のイベントには、営業時間中のため参加出来ない店舗などにも、参加をお願いしました。私たちスタッフも出店し、楽しみました。

阿多 今まで10年以上、地域の活動をしてこられた多田さんですが、今後の活動として何か考えている事、やりたい事があれば教えてください。

多田 「てのわ市」という形でスタートした「てのわ部」ですが、運営している私たちスタッフは、全て「てのわ部」の部員です。部長は、武蔵野美術学院学院長で「ギャラリー634」の山内さん。部活動のひとつが「市」だっただけで、今後は「てのわ市」に限らず、幻燈会(※5)、マップ作りだったり、もの作りだったり、自分たちでやりたい事を色々な形でできればと考えています。私は、会社員時代にプロデュースやイベントのサポートが得意分野だったので、そのスキルを活かして、今後もてのわ部のやりたい事を実現できるよう活動していければと思っています。

※5:幻燈とは、写真フィルム・図版・実物などに強い光を当てて、レンズで幕などに拡大映像を投映して見せるもの。(大辞林 第三版 コトバンクより)

多田さんのぶんハピ 国分寺歴 40年

仲間がいる国分寺で生活すること

私のぶんハピはズバリ、現在住んでいるマンションとまちの仲間ですね。

学生時代から憧れていたマンションに住み始めて約20年。地域デビューのキッカケでもあり、他人なのに親戚づきあいの様な隣人との距離感が心地いいですね。そして、至るところで手を振り合える仲間と出くわすこと。会社と家の往復だけだった国分寺の暮らしが、ぶんハピになりました。

 

取材を終えて

前回からほぼ5年近くも!更新していなかった「ひと」ページ。次は地域で活動する私と同年代の貴重な仲間、多田さんにお願いしよう決めていました。

あっと言う間に経ってしまった5年という年月の間に、多田さんは「てのわ市」という新しいイベントを立ち上げていました。

いつ会っても笑顔で、何でも柔軟に受け止めて地域活動をしている多田さん。彼女自身も楽しめることとして、仲間と始めた「てのわ部」の活動。次の展開を楽しみにしたいと思います。

このインタビューをまとめている間に、世界中がコロナウイルスによる感染が拡大し、現在、日本も不要不急の外出自粛となりました。ウイルス収束に未だ先が見えない状況で、残念ながら今年の6月に予定されていた「てのわ市」は、中止となり、10周年となる「ぶんぶんうぉーく」の開催も来年に延期になりました。楽しいイベントが先になってしまいましたが、きっと今までよりパワーアップしたイベントとなること間違いなし、楽しみに待ちましょう。

(2020年4月)

 

  取材:CHEERS