ぶんじ寮 その2

〜地域の活動について〜

ぶんじ寮は住むための場所であると同時に、地域に開かれた場所でもあります。
実際にどのような活動を行っているのかお聞きしました。

ぶんじ寮の門にある掲示板には、寮の庭で育てている野菜の販売のお知らせ、寮の自治会新聞などが貼られています。新聞にはぶんじ寮の近日のイベント告知などとあわせてまちの人からの声も書かれており、近隣にお住まいの方とぶんじ寮のみなさんとの往復書簡のようです。

玄関の門に貼られた自治会新聞や野菜販売のお知らせ

ぶんじ寮の庭の畑、季節ごとに数種類の野菜を栽培して販売

玄関口にあるまちのシェア傘

そして、玄関先には『まちのシェア傘』と書かれたバケツにたくさんのビニール傘が置かれていました。地域の人が誰でも必要なときに使ってもらえるようにと設置されたもの。これも寮の住人のアイディアの一つ。

イベントは寮の住人たちが自発的に企画して行っていて、参加者が0名というイベントもあるとか。コクフェス、ぶんぶんウォークなど国分寺市内で行われているイベントにも積極的に参加し、2023年には、年間で60〜70回ほどイベントを開催したそうです。

ぶんじ食堂のメニュー看板

その一つに、一人ひとりができることを持ち寄り、みんなで育てる食堂『ぶんじ食堂』があります。ぶんじ寮の発起人でもある永井千春さんを中心に2018年から、国分寺市内のいろいろな場所を借りて行われていた取り組みです。

現在はここ、ぶんじ寮を拠点に毎月、定期開催されています。(詳しくは、ぶんじ食堂ホームページ:https://bunji-shokudo.org)ぶんじ食堂でひとつの食卓を囲むのは、未就学児から人性の諸先輩方まで。

ボリュームたっぷりのメニュー

食を介したイベントは地域を繋げる良いイベントですね。食のイベントでは、クルミドコーヒーオーナーの影山さんとぶんじ寮の住人が1つのテーマ(今までに開催したテーマ:「暮らしとケンカ」、「親はこどもにどこまで愛情を注がないといけないんだろう?」など)について対談し、その後一緒にランチを食べるという‘サンデーブランチ’ や、お酒片手にその日のテーマについてゆったり語らう‘イエノミ’ (今までに開催したテーマ:「おもいで」「トキメキ」など)があります。

その他にも、映画上映会(今までに上映した映画:東ティモールの闘いをとりあげた「カンタ!ティモール」、能登の塩作りに焦点をあてたドキュメンタリー映画「ひとにぎりの塩」)などを開催しています。バーベキューや、中庭を利用した焚き火、お花見や、ぶんじ寮の屋上での花火観覧が人気のイベントだそうです。

ぶんじ寮近くの公園で地域のひとも一緒にお花見

かつて幡野さんが主催したイベントで、“ぶんじ寮の屋上黙考“というイベントがありました。ぶんじ寮の屋上でただただボーっと考えましょうというイベントで、おしゃべり禁止!というもの。こちらは参加者1名で、主催の幡野さんとお2人で行われたということもあったそうです。

7月、東京競馬場の花火をぶんじ寮の屋上からみようというイベントに、6歳になる娘と参加しました。花火の開始とほぼ同じタイミングで寮に着き、慌てて屋上へ上がるとすでに屋上はたくさんの人でにぎわっていました。

ぶんじ寮屋上からの見た府中の花火

近所の小学生がコーヒー屋さん・ジュース屋さんを開いていたり、どこからか食べ物を焼くいい匂いがしていたり、D Jがいたり、そこは小さなお祭り会場のようでした。屋上中央あたりにはシートを敷いた家族連れが何組かいらっしゃり、それぞれにくつろいで楽しんでいる様子でした。その1組に声をかけると、幡野さんのお子さん、青音ちゃんと同じ保育園に通うお子さんがいらっしゃるというご家族で、悠さんに誘われて参加しましたとのこと。普段でもぶんじ寮にふらっと立ち寄って遊ぶことがあります、とのお話でした。そのお隣には、屋上での花火観覧は何回目かという幡野さんの同級生のみなさん、最初は数人だったのに今年はこんなにたくさんの方が集まっていて嬉しいとおっしゃっていました。

また、ぶんじ寮の目の前にお住まいだというおじいさまもいらっしゃり、家からだと全く見えないがここの屋上からだと花火がよく見えてうれしいと笑顔でお話ししてくださいました。仕事や所属や年齢に関係なく誰もがゆったりと集える雰囲気があり、とても居心地が良く、娘とともに楽しい時間を過ごさせていただきました。

子どもたちによる蚤の市、訪れる人々で賑わっていました

2024年11月23日(土)、24日(日)の2日間にわたり、ぶんじ寮4周年を祝して「しょうもない万博」が開催されました。23日のお昼過ぎに伺うと、庭先でこども蚤の市が開催されていました。子どもたちの手作り小物のお店、飲み物やさん、また射的、ボーリングといったゲーム屋さんなど個性豊かなお店が出店されていて、和やかな楽しい雰囲気でした。

国分寺市全域で行われているぶんぶんウォークの開催期間中ということもあり、ぶんじ寮全体がとても賑わっていました。寮内と中庭では、ぶんじ食堂、住民とご近所さんのライブ、住民による写真展、テントサウナなどが行われ、屋上ではこくぶんじカレッジの皆様による焚き火が行われていました。夜にはイエノミ、公開ぶんじ寮住民ミーティングなども行われていたそうです。

※こくぶんじカレッジとは、「まちが自分ごとになる」をテーマに国分寺の街を楽しむ活動を始めたい人、地域とつながる事業やお店の新しい形を考えたい人、それらの活動をサポートして街をもっと元気にしたい人が学び活動する連続講座です。(こくぶんじカレッジのHPより引用:https://kokubunji-college.net)

これらのイベントは、ぶんじ寮という場所とその住人が地域の人・外部の人と繋がるきっかけになってくれるものです、とのこと。今後はもっとたくさんの方に参加してもらえるようにしていきたいと幡野さんご夫妻はおっしゃっていました。

管理人室横の壁にたくさん貼られている青音ちゃんの写真にぶんじ寮のみんなが温かく成長を見守っているのを感じました

ぶんじ寮に引っ越してきて出産し、子育て真っ最中という幡野ご夫妻、私自身も子育て中ということもあり、ここでの子育てについてお聞きしました。

お子さんができて寮での生活に変化はあるかどうかお聞きしたところ、ha幡野さんは特に変化はないとのお即答でした。奥様の悠さんは即答されたことに少し驚かれていましたが・・・。寮に赤ちゃんがいるという環境は、ぶんじ寮の住人にとってそれぞれに変化があったのではないかとお聞きすると「仕事が忙しいときや自分たちの体調が悪いときには寮のみんなが交代で保育園の送迎をしてくれ、夜に用事があるときには青音ちゃんをお風呂に入れ、寝かしつけもしてくれることもあります」と悠さん。青音ちゃんの存在を寮のみなさんが自然に受け入れ、共に過ごしている様子が感じられました。ぶんじ寮の住人のお一人、櫻林栄吉さんは現在、保育士の資格を取得しようと勉強中だそうです。栄吉さんはもともと子どもが好きで保育士という仕事は憧れの1つだったとのこと。思いはあっても行動できていなかったところ、ぶんじ寮で青音ちゃんと触れる機会ができ、それが資格取得に向けて勉強を始めるきっかけになったそうです。

子育てが閉塞的になりがちな今日この頃、両親以外に子どもを見守る目がたくさんある環境はとても稀少なことに感じました。「ぶんじ寮に住んでいなければ2人きりの子育てなので、もっともっと大変だったかもしれない」とお2人そろっておっしゃっていました。ここはお2人が子育てをしながら父親、母親としてだけでなく自分らしくいられる場所、それは青音ちゃんが育っていく過程でも大切なことだと思いました。

ぶんじ寮のオープンから4年半、今後の展望についてもお聞きしました。

イベントなどを通し、ぶんじ寮をより開かれた場所にしたいと考えていらっしゃるそうです。まちの人にもっと気軽に出入りしてもらえる場所になるといいなとおっしゃっていました。実際にこれまでにここへ出入りした近所の方は、両親ともお仕事などで留守のときに寮にやってくる小学生、寮生とバンドを組んで練習をはじめたおじいさま、共有スペースで1人くつろぐ年配の女性。その方が逆に寮生をご自宅に招いて夕ご飯をご馳走する、ということもあったのだそうです。このように、地域の方がふらっと立ち寄れる場所に、ゆっくりゆっくり育っていくと良いなとお話しくださいました。「公園みたいにいろんな人が出入りしたら面白いよね」と幡野さんはおっしゃっていました。

子育てをする中で、全身全霊で遊ぶ子どもたちをみて、生きているなあと感じることがたくさんあります。そしてふと、人はいつを境に世界と全力で対峙することから遠ざかっていくのだろうと考えてしまいます。

幡野さんにご自身の在り方についてお聞きすると、「‘何ものにもとらわれず、遊ぶように生きたい’という願望が日々の活動に繋がっているように思う」とのお答えが返ってきました。

ぶんじ寮を訪ね、幡野さんご夫婦のお話を伺い、住人の方ともお話をして、少し大袈裟なようですが‘本気で生きる‘ってなんだろうという思いが頭をよぎりました。ぶんじ寮は、大人が本気で遊び立ち止まって考えることのできる場所、そしてそんな大人が集う場所は、大人にとってもこれからを生きる子どもたちにとっても豊かで面白い場所なのではないかと感じました。

  • 施設利用者へ一言

人との関わりの修行に来てください!!

今後は、高齢者の方(バリアフリーが完備されていないため、その点は今後の課題です)、子育て世代の方にもぜひいらしてほしいです。寮の住人以外の方のイベント開催も募集中です。シェアキッチンの利用をご希望の方もぜひお声がけください。ダメなことはありません、とりあえずやってみる、問題が起きたらそのときにみんなで考える、それがぶんじ寮です。

 

幡野雄一さんのぶんハピ 国分寺歴 37年

やりたいことを口にしたときに面白がってくれる仲間がいること

 

悠さんのぶんハピ 国分寺歴4年   青音ちゃん国分寺歴 2年

幡野さんご家族。愛猫のぶんじ(愛称ののちゃん)と一緒に

ぶんじ寮の屋上
好きなポイントは広いところ。こんなに広い屋上は高級住宅にでも住んでいない限りなかなか得られないので (笑)。
周りに高い建物が少なく見晴らしが良いところも好きです。春には桜、夏には花火、秋には柿、冬には富士山が見えて四季も楽しめます。是非一度来てみてください!

 

ぶんじ寮HP: https://lit.link/bunjiryo

ぶんじ寮Instagram:https://www.instagram.com/bunji.ryo/

ぶんじ寮Facebook:https://www.facebook.com/bunji.ryo/

連絡先:

 

 

取材:ぶんハピリポーター

 


ぶんじ寮 その1

‘遊び’を中心に地域に開かれた

新しいまちの交流の場に

門につけられた手作りの看板

※今回は、2回に分けて記事をまとめました。

まず1回目はぶんじ寮についてご紹介します。

武蔵国分寺公園の南側、国分寺崖線の湧水で有名なお鷹の道・真姿の池湧水群を過ぎてさらに南へ少し行くと、畑の残る緑豊かな住宅街の中に、ぶんじ寮が見えてきます。3階建ての白い大きな建物、屋上も見えます。ぶんじ寮と書かれた手作りの看板がかけられた門を抜けると左側にはビニールプールに水を張った田んぼがあり、刈り取りの終わった稲が稲架に干されていました。

プール田んぼの奥には畑があり
どちらも寮の住人が世話をしている

ぶんじ寮は、国分寺に本社のある会社の独身寮として使われていた建物を改修してオープンした‘まちの寮’です。敷地は約220坪、中庭を挟んで旧館、新館と呼ばれる2棟からなります。旧館の1階にはお風呂、シャワー室、机と椅子が置かれた小さなホール、管理人さんの部屋(キッチン、トイレ、お風呂付き)があります。2階には6畳ほどの個室が12部屋あります。

ぶんじ寮外観

 

中庭を抜け新館へ向かうと、1階に洗濯室、食堂とキッチン、ソファや本棚が置かれたゆったりしたリビングのようなスペースがあります。新館の2階には8部屋の個室があります。1階にあるキッチンやお風呂、洗濯室、リビングは寮の共有スペースです。

シャワールームは寮オープンのときに新設した手作り

ソファの置かれたリビングスペース
手前はダイニングテーブル

新館1階のリビングスペースをお借りして、寮の管理人をなさっているご家族、幡野雄一さん、悠さんにお話を伺いました。お2人は、寮に住みながら青音ちゃん(2歳)の子育て中です。

雄一さんは、ぶんじ寮の発起人、企画者のお1人です。お父様の代から国分寺に住む根っからの国分寺っ子だそうです。若い頃から‘生きるとは?人はいかに生きるべきか?’と思考し続け、ヒッチハイクや野宿生活などを経験した後、大学に入学、仏教を学びます。卒業後は子どもたちのための探究型の学習塾や、哲学対話の場作りなどの活動を行っていました。

 

新館2階の個室は6畳ほどの広さでベッドが設置されている

コロナ禍の2020年6月、現在の建物の存在を知り、この場所で何か面白いことができないかと仲間とともにその使い方を考える『妄想会議』なるものを開催します。

同じ頃、西国分寺のクルミドコーヒーのオーナー影山知明さんは、コロナ禍の影響もあり、お金に頼りすぎている現代の生活に疑問を感じ、暮らしに必要なお金を半分にできないか、まちの寮のようなものを作れないかと考えていました。

そんなお2人と地域の仲間が、その建物を利用して、一緒に寮をつくろうとなり、建物の改修費用を募るためにぶんじ寮プロジェクトのクラウドファンディングを立ち上げます。クラウドファンディングは無事成功し、物件との出会いから約半年後の2020年11月、ぶんじ寮がオープンします。

業務用のコンロや冷蔵庫が備えられた本格的な共同キッチン

幡野さんに「ぶんじ寮の最初のコンセプトは?」と伺うと、「特になし!」とおっしゃっていました。しかし、ぶんじ寮オープンの際に収録された、プロジェクトメンバーのみなさんが寮への思いを話す『ぶんじ寮トーク』という動画を見せていただくと「大人の本気の遊びをしたい、子どもたちにもそんな国分寺の面白い大人をたくさん見てほしい」と幡野さんが話してらっしゃいました。当初から『遊び』というキーワードがご自身の中にあったようです。
寮のオープンに際し、常駐人が必要となり、幡野さんは悠さんと一緒に「寮を管理しない管理人」を条件としてぶんじ寮に住むこととなったそうです。

現在、寮の家賃は4万5000円/月(部屋代3万1000円、光熱費14000円)だそうです(部屋によって多少金額が異なります)。現在、10~50代の、男性14名・女性7名が住んでいるそうです。

1階のリビングの奥にはゲストルームが2部屋あり、使用料は3500円/泊(2日目以降は3000円/泊)とのことです。ゲストルームは、育児休暇を利用して兵庫県から1ヶ月ほど滞在した日本人家族やSNSでぶんじ寮を知ったアメリカ人家族が6ヶ月ほど滞在したこともあるそうです。ゲストルームは、空いていれば誰でも宿泊することが可能です。

部屋番号のついた食品棚のカゴは最近設置されたもの。所有者がわかるようになった反面、グレーゾーンがなくなったという声があるのもぶんじ寮ならでは

ぶんじ寮の入居に条件はあるかどうかとお聞きしたところ、「特にないです。どんな方でもいらしてください!」とのことでした。入居希望が重なったらくじ引きになるそうです。

共同生活のルール決めはあえて行っていないとのこと。幡野さんご夫妻は『管理しない管理人さん』、「何かが起こらないようにとルールを決めてしまうのはつまらない、とりあえずやってみる、何か起きたらその時にみんなで考える」と雄一さん。

悠さんからも「住み始めてみんなで揉めたり話し合ったりしながら、だんだん感情が出せるようになる人もいます」とのこと。人と人が顔を突き合わせて話し合う関係が希薄になりつつある昨今、ぶんじ寮での住人同士の関わり合いはとても貴重なものに感じました。

ぶんじ寮が地域でどのような活動を行っているのか
続きをその2でご紹介したいと思います。お楽しみに!

 

取材:ぶんハピリポーター

 


自主保育グループ ハンティントン

「ハンティントン」を取材してきました

持ち寄った食材を集めてメニューを検討中

持ち寄った食材を集めてメニューを検討中

小雨が降る中、ハンティントンの活動がスタート。取材した日のメニューは炊き込みご飯とスープ、どちらも炊飯器で作るとのこと!毎回、メンバーで炊き出しをしながら自然と料理の知恵を共有できるのがよいところだとか。私も今回の取材でスープが炊飯器で作れる事を初めて知りました。この日はハンティントンを卒業した幼稚園児の親子も来ていて、久しぶりの再会に色々話が弾んでいました。子どもが幼稚園に行くことでグループの活動が終わってもゆる〜く、繋がっているのは素敵です。

 

Q1 グループはいつからあるのですか?メンバーは何人ですか?

30年以上前から続いているそうです。

今年の3月までは9組の親子で活動していました。現時点(2016年4月)では、お子さんが入園でメンバーが抜けたため親子3組です。今日、見学の親子が入ってくれるようなので4組になると思います。

 

Q2 活動内容は?

プレステでのネットは子どもたちに人気の遊び

ネットは子どもたちに人気の遊び

毎週木曜日の10時30分からお昼過ぎまで活動しています。途中からの参加も途中で帰ってもOKです。

お昼を挟むのでその時に参加したみんなで持ち寄った食材で昼食を作って食べています。

母達が昼食の炊き出ししている間、子ども達は遊んだり炊き出しを手伝ったりしています。

借りている畑、今年は何が出来るかな

畑では今年は何が出来るかな

 

畑で子ども達と野菜作りもしています。現在は、秋に植えたじゃがいもと玉ねぎを育てています。昨年のクリスマスでは、畑で収穫したローズマリーを使ってローストチキンを作りました。ハロウィンやクリスマスなど季節行事もみんなでお祝いしています。

 

 ハンティントンに入ったきっかけ?

友達に紹介されて、体験に来たのがきっかけです。

水たまりでの泥遊びは子どもたちの1番人気

水たまりでの泥遊びは子どもたちの1番人気

子どもが泥まみれになってとことん遊べる場所ってなかなかないから、とても魅力を感じました。

 

Q4 活動を通じて良かったことは?

娘は人見知りなのですが、グループの活動で定期的に集まり、メンバーみんなで同じ釜の飯を食べて親子共に顔見知りになったこと。またそういう環境で子ども達が安心して遊べること。

また、ここでは、プレーリーダーがいてくれるので子どもたちの遊びの幅も広がります。あとは親も子どもも季節を感じてのびのび過ごせることかな。

 

Q5 子ども達に人気の遊びやおやつはありますか?

炊き出し、子どもたちも自然にお手伝い

炊き出し、子どもたちも自然にお手伝い

人気の遊びは、三輪車に乗って坂を駆け下りたり、水遊び。みんな、水たまりは大好きですね。食べ物は、焼き芋やダッチオーブンで作るパエリアなど。

 

Q6 未就園児を持つ保護者にメッセージ

週1回、ハンティントンで親も子もゆるく楽しみませんか。特に義務的なことはないですよ。

 

谷川さんのぶんハピ 国分寺歴 3年半

谷川素子さん

谷川素子さん

国分寺市プレイステーション

大人も子どもに戻れる貴重な場所です。まだ行ったことがない方は是非、遊びに行ってほしいです。

 

取材:ぶんハピリポーター

matsushita3

 

 

活動情報

ハンティントン

日時:毎週木曜日  10:30〜自由解散

場所:活動場所については見学・体験ご希望の方にお知らせします

月会費:300円

見学や体験をご希望の方は、下記までお気軽にお知らせ下さい。

ハンティントンのfacebookで昨年度の活動日誌を掲載しています。


自主保育グループ ぐるんぱ

「ぐるんぱ」を取材してきました

おそとで女子会、たのしそう

おそとで女子会、たのしそう

自主保育グループ「ぐるんぱ」の活動を取材するために国分寺市プレイステーション(以下プレステ)へ行ってきました。この日は、炊飯器(プレステで借りられます)でトマトリゾットを作ることに。皆が持ち寄った色々な材料が入ったごはん、みんなで食べると美味しいこと。

ここでは、子どもがいつもよりパクパク食べてくれると言う人が多いというのも納得です。子ども達はイキイキと自分の好きな遊びをやります。それを優しく見守る母達もイキイキしています。皆で子育てを楽しんでいるのが伝わってきました。

 

Q1 グループはいつからあるのですか?メンバーは何人ですか?

活動は、20年前位から続いていて

現メンバー(取材時3月時点)は親子15組、子どもは未就園児です。幼稚園がお休みの時は、OB親子も参加することもあります。

 

みんなで「どこでもドア」製作中

みんなで「どこでもドア」製作中

Q2 活動内容は?

昼食を作りつつ、子ども達と遊ぶ。

不定期に工作、季節のイベントもやります。基本的にはメンバーが好きな事をやっています。

 

Q3 ぐるんぱに入ったきっかけ?

市内の親子ひろば「BOUKENたまご」でプレステのチラシを見つけて、プレステに行きプレイリーダーさんからぐるんぱを教えてもらいました。

見学したら楽しそうだったので入会しました。

 

皆で輪になって恒例のはとぽっぽ体操♪

皆で輪になって恒例のはとぽっぽ体操♪

Q4 活動を通じて良かったことは?

公園では遊ぶ相手が見つからない事もありますが、ここに来ると1日中遊べる。仲間がいる安心感があり、子育てが楽になった。親はメンバーどうしで子育てのことなどを相談しあったり、おしゃべりしてストレス発散できるし、刺激も受けます。子ども達も好きな事をやるので、顔がイキイキしていますよ。

 

Q5 子ども達に人気の遊びやおやつはありますか?

KC4D0191

プレイリーダー作のエコストーブで そばめしをつくっているところ

水遊び、泥んこですかね。他の公園では人の目を気にして中々出来ないんだけど、プレステだと思いっきり遊べます。ぐるんぱのときは、汚れてもいい服を着せてるから安心。あとは木工作(釘打ち)も人気。おやつは、マシュマロを枝に刺して火で焼いて食べる焼きマシュマロが人気です。

お料理は、すいとん、おでん、カンジャ・デ・ガリーニャ(ブラジル風リゾット)など。材料を持ち寄ってぶっかけうどんやサンドイッチバイキングなどをすることも。メンバーとお料理の情報交換も出来ていいですよ。

 

魅力的な水たまりを満喫中

魅力的な水たまりを満喫中

Q6 未就園児を持つ保護者にメッセージ

ぐるんぱに入らなくてもプレステに遊びに来てほしいですね。プレステには常時、プレイリーダーさんがいてくれる安心感があります。

子育ては皆でやると楽しいですよ。煮詰まり度合いが減ります。そしてここだと水にボチャンも温かく見守れます。

 

小山さんのぶんハピ 国分寺歴 3年

ぐるんぱ代表 小山理恵さん(取材時)

ぐるんぱ代表 小山理恵さん(取材時)

黒鐘公園

プレステと黒鐘公園が子どもたちのプレイグランドです。特に黒鐘公園は、季節を感じられるから好きです。裏山にどんぐりがたくさん落ちている秋がおすすめです。

 

取材:ぶんハピリポーター

matsushita3

 

 

活動情報

ぐるんぱ

日時:毎週火・金曜日

10:30〜自由解散

場所:屋外では市内の公園や国分寺市プレイステーションなど、お天気など場合によってはもとまち児童館など

国分寺市プレイステーションのHP http://www.boukenasobibanokai.or.jp/playstation.html

月会費:300円

体験をご希望の方は、ぐるんぱのブログで活動内容をチェックして、見学がてら直接遊びに来て下さい。

http://kokubunji-gurunpa.blogspot.jp/?m=1


第5回 鈴木雅大さん かたぐるまの会 元代表

第5回目は、国分寺市第六小学校を拠点にお祭りを開いてきた「かたぐるまの会」の元代表、鈴木雅大(がだい)さんです。地域の真ん中にあって子どもたちが通う学校は、今の時代に残された「はらっぱ」ではないだろうかと語る鈴木さん。子どもたちとその保護者が地域の人たちと一つ輪になって、手づくりで毎年開いてきたお祭りは、夏の縁日には1200人、春のもちつきには800人がコンスタントに集まる、今では地域恒例の行事に育っています。そんな祭りを興したこの会がどうやって生まれ、これからどこへ向かおうとしているのか、伺いました。

鈴木雅大さんのプロフィール

東京都出身。大学でフランス語を教える。2児の父。「かたぐるまの会」の発起人で、この春(2013年度)までその代表を務めていた。「北町公園をみまもる会(※)」世話人。「国分寺であそぶKAI(※)」にも発足から関わる。

(※1)「北町公園をみまもる会」:設計段階から市民参加で誕生した公園を“育てて”いくことを通して自分たち(地域みずから)も“育つ”ことを願って生まれた会。周年祭『春のきたまち』の主催者。

(※)「国分寺であそぶKAI」:市の北側にも「もうひとつ“プレイ・ステーション(冒険遊び場の拠点)を”の署名活動から始まった、子どもたちの外遊びを推進する運動体。『ワイルドにあそぼう!』主催者。

 

だれでも、やりたいからやる、そこからしか始まらない

 ―かたぐるまの会は、いつ・どうやって生まれたのですか。

 鈴木さん(以下、敬称略) 2001年、今の学校の週完全5日制が始まった年の秋のことです。(六小の)PTA会長さんから「お父さんたちで何かできないか」と持ちかけられ、ではひとつやってみましょうかと呼び集めた最初は10人のさむらいの「作戦会議」からこの会は始まりました。核となったのはこの年僕がキャンプ長を務めたしんまち学童のサマーキャンプでした。10人中7人までがその仲間だったというだけではありません。発想から組織の作り方にいたるまで、すべての母胎はこの学童のキャンプにあったのではないかと思っています。

 ― 学童というのは学童保育所のことですね。

 鈴木 そうです。学童にもPTAと同じ父母の会というのがあって、サマーキャンプも形のうえではその行事のひとつなのですが、これだけは年度ごとに役員が切り替わるPTAとはちがい、毎年その年のキャンプで次のキャンプ長を決めて、翌年はその新キャンプ長が仕切ってまた次に託す、というふうにして続けられてきました。ご存じかどうか、今ではもう学童保育はあって当然の制度のように思われているけれど、最初は働く親たちが場所も指導員も自分たちで確保するところから始まったのです。手づくりのこのキャンプには今でもそんな草創期の息吹が残っている気がします。年度輪切りではなく縦に人がつながって続いてきたから、OB・OGになっても来てくれるひと(親子)がたくさんいるし、それこそ草創の頃からの古い指導員の先生が遊びに来てくださることもあったのです。

 ―「作戦会議」に戻って、最初の会の活動について教えてください。

2001年12月に開催された最初のイベントのプログラム(左) と、それから12年後、2013年の『なつまつり』のポスター

 鈴木 はい。僕たちがそこでまず確認したのは、僕たちは“子どもたちのために”やるのではなく、“僕たち自身が”(僕たち自身も)やりたいと思うことをやろう、ということでした。なにかを「ためにしている」大人と、自分でもそれが「したくてしている」大人との違いが、子どもたちには匂いでわかります。そこで(PTAだよりを通して)子どもたちに、《ぼくたちはきみたちといっしょに、こんなことがしてみたい・こんなこともできるのではないかとおもいます──きみたちはなにがしたい?どんなことができたらとおもう?》とボールを投げ、返ってきたボールをもとにプログラムを組んで、2001年12月、最初のイベント『いっしょにあそぼう!かたぐるまの会』の開催にこぎつけたのでした。

「かたぐるまの会」という名前は、名乗りとして、と同時にこうした発想から生まれた遊びの集いそのものの名として、メッセージをこめてこのとき僕たちが自身に与えたものです(《この会は、あそぶこころにかけてはきみたちにまけない、六小のおとうさんたちが、きみたちといっしょになってあそびたくて、かたをくんでつくりました》)。

この催しは、いきなりジャンボしゃぼん玉も、紙ヒコーキも、すもうや大なわとびまでやろうという、てんこもりのメニューでしたが、中心のテーマにすえたのは「火」でした:1)火おこしに挑戦し、2)校庭でたき火をやり(これも挑戦です)、3)その火で食べられるものも自分で作ってみよう、と呼びかけたのです。3)は、ねじりん棒(原始パン)をやりました。粉を生地からこねて「へび」にし、それを巻きつけて焼く竹の棒も自分で作ろう……と。

当時はダイオキシン騒ぎで野焼き一般が法律で禁止されるようになり、たき火ひとつ簡単にはできなくなってまだ間もなかった頃でした。その意味でも(CANではなくMAYという意味でも)「火」は、挑戦だったのです。

可笑しかったのは、このたき火で、すっぽりタオルを被り鼻の頭まで真っ黒にして、ひとり黙々と火の番をしてくださった方がいたことです。あまりの様変わりで気がついた参加者はほとんどいなかったようですが、なんとそれがこのときの六小の校長先生その人でした。先生はまさに黒衣に徹して、陰ながらエールを送ってくださったのでしょう。

―最初期のメンバーには、図工専科の先生もいらしたとか。

 

『なつまつり』で行進する六小ねぶた(写真は2011年) 子どもたちと一緒に1ヶ月かけて「遊びの学校」で作る

 鈴木 ええ、金子光雄先生は、文字どおり同志として10人のさむらいの一人になってくださいました。その前の年に開催された「先生と話そう会」で僕と先生は、「学校でなにか一緒にやれるといいね」と話をしていたのです。設備や道具も含めて学校内部に精通されていた先生が仲間に加わってくださったことは大きな力になりました。道具もそろい、校庭にすぐ出て行くこともできる図工室は僕たちにとってまさに理想の作戦基地でした。のちに実現した「遊びの学校」※の原案を描かれたのも、金子先生です。
※遊びの学校については後述

―最初のイベントは参加者は何人くらいだったのですか?

 鈴木 親子合わせて約180名でした。今からみればずいぶん小さなパーティでしたが、考えてもみてください、たった10人の悪童たちが仕掛けた「校庭で思いっきり遊んでみよう!」という呼びかけに、これだけの数の(今の、そして今は昔の)子どもたちが応えて遊び仲間になってくれたのです。こんなにうまくいくと思わなかったというと嘘になるけど(だってそのために作戦を練ったのだから)大成功だと僕たちは思いました。「思った」というより「体で感じた」といったほうが正確かもしれません。最後の後片付けを終えたあと覚えた深い充足感──虚脱感にも似た「完全燃焼」の感覚──は今でも忘れられません。なによりそれが味わいたくて僕たちはこんな会を性懲りなく続けてきたのかもしれない、と思うことさえあります。

―この成功が、翌年3月の第二弾につながった。

 鈴木 はい。第二弾は、その年度のPTAの予算ではもうできないことがわかっていたところへ思いがけず市からお誘いがあって、教育委員会の『地域で遊ぶ』という企画に乗って実現した催しでした。形の上では「協力」ですが、実質はイベント名も『竹であそぼう!かたぐるまの会』を名乗らせてもらい、ひさしを借りて何とやら、竹ポックリ・竹馬から、竹の楽器、バウムクーヘンまで、存分に遊ばせていただきました。参加者はこのときも約180名でした。

…そうか。“三段跳び”だったんだ。12月の最初のイベントが“ホップ”、3月のこの『竹』が“ステップ”、そして7月に“ジャンプ”。こうして振り返ると、今に続く『なつまつり』はこの三段跳びから始まったことにいま僕も気がつきました。この弾みがあったから今がある。いまなお季節が来ると、もっと遠くまで跳びたいと体が疼いてしまう僕たちがある……。

―なるほど。2002年度は「ジャンプの年」だったのですね。夏休みに入ってすぐの『なつまつり』も、年明け新年の『春よこい』もこの年に花開いた……。

 鈴木 そうですね。かたぐるまの会はこの年に正式に六小のPTAの一実行委員会となって、ここから年単位の活動が始まりました。幸運というものがあるとすれば、この年に僕たちが二人の女性に巡りあえたこともそうだったのかもしれません。一人は新任の校長先生、秋本光代さん。もう一人は新しいPTA会長さんでした。

『なつまつり』で挨拶する鈴木さん(中央)

『なつまつり』は、「盆踊り…できないかな?」というこの沖縄出身の会長さんからいただいたアイデアを僕たちがゼロから組み直して出した回答です。かたぐるまの会は、「オヤジの会」というより今の時代の「青年団」ではないか。そう僕が考え始めたのもこのときからでした。《地域は創りだすもの》:会の当時のHPに僕が掲げたこのコピー文にも、その思いがこめられています。

梅雨明けとぴったり重なった7月20日の『なつまつり』は、64人が参加した前座のベイブレード大会から、400人超が入場した最後の「夜の学校探検」まで、通してじつに900人。大成功を収めました。一番人気となったこの「探検」は夜の校舎を使った肝だめしですが、その相談に校長室を訪れたときのことです。僕が「ワン・フロアーでいいからお借りできませんか」と伺いを立てると、なんと秋本先生のほうから「どうして?三階とも全部使ったらいいじゃないの。そのほうが楽しいでしょう?」と即答で逆提案されてしまいました。ちょっとすごいでしょう。

―たしかに。さっきの「火」でも少し前の「ナイフ」でも、それが問題になると、「何かあっては大変だから」という理由でそれそのものの使用を禁止してしまう風潮が最近は強くなってきていることを考えると、学校のトップである校長先生がそんな姿勢をとってくださるのは、なかなかできないことですね。

 鈴木 ええ。あとで知ったのですが、秋本先生は常日頃から「長たる者の役割は、“何かあったらその責任は私がとるから”と現場の人たちを励ましてなにかができるようにすることだ」と心得ておられました。だから即答されたのです。

もうひとつ例を挙げましょう。僕たちはこのお祭りを、これに参加する人たち全員が(子どもたちも保護者や地域の人たちも)「遊び仲間」になる──自分たちでつくり・自分たちでそれを楽しむ(「お客さん」になってしまう人のいない)──催しにしたいと最初から考えていたので、子どもたち自身が主役になれる「こどもリサイクル・マーケット」をメニューの一つに加えました。でもじつはこれは、PTA本部の人たちも一緒に開いた「なつまつり委員会」の内部、僕たちの中でも賛否両論真っ二つに割れて、最後は僕の責任で決断を下したのです。

その模様を先生に校庭を一緒に歩きながらお聞かせして(先生はウンウンとうなずくだけで何もおっしゃいませんでした)それからまもなくのことです。PTAの保護者たちに向けた『六小だより』に先生が寄せられた一文を目にして僕は思わず唸ってしまいました。なんて粋な計らいをなさるのでしょう。あんまり素晴らしい文章なので、一人で読むのがもったいなくて、先生の了解を得て僕はこれを会の当時のHPに上げました。みなさんもどうぞ読んでください。先生も転載を許してくだいました。

遊ぶ心×礼を尽くす

―「かたぐるまの会」は、2014年の12月でもう14年目になりますね。ここまで続けて来られた秘密(秘訣)は、いったいどこにあったのでしょう?

 鈴木 うーん。ひとことでいえば「発意」かな。なにかがやりたいっていう思い。このたいがなければ何も生まれない。でも、いちばん微妙なのはそこかもしれませんね。僕たちはみんな、やりたくて始めたことが、いつのまにかやらねばならないお仕事や重荷に変わってしまうこともあれば、反対にやらねばならなくて始めたことが、どこかで喜びのたねに変わって、こちらからそれがやりたくなっている自分に気がつくこともあるように、ひとすじなわでは潮目の読めない情動の波に乗って舟を漕いでいるところがあります。

「ボランティア」という、もとは強い“自発的な意欲”を表す言葉が、どこかで“奉仕”のニュアンスに転じてしまったり、そうかと思えば、もとは強い“奉仕”“おつとめ”を意味した「サービス」という言葉(「ミリタリー・サービス」は軍のおつとめ、兵役のことです)が、いつか主客転倒して“ありがたい便益”を表すようになったのも、そんな波間に揉まれてのことだったでしょう。

学童のキャンプもそうでしたが、この会がこんなに長続きしてきた秘密は、何の理屈もなしにただ、自分が楽しいからやる、やりたいからやる、それだけという姿勢に徹してきたことにあったと僕は思っています。「遊ぶ心」ですね。僕たちは頑固なまでにこの自発の心からの出発にこだわった。

今でこそもうお祭りは僕たちだけのものではないのでそんなことはしなくなりましたが、5年目くらいまでは毎年年度初めに、今年もやりたいかどうか、メンバー全員の意思を確認してから始動していたほどです。毎回が初回。それがルーチンやお仕事になってしまったら、もう解散しよう、そう思っていました。いや、今でもその気持ちに変わりはありません。

―なんともいさぎよい。でもその潔さこそが、この会がここまで続いてきた秘密(秘訣)ではないか。そう、鈴木さんはおっしゃりたいのですね。ではそうやって会を続けていくうえで、鈴木さんがいちばん大切にされていることは何なのでしょう?

 鈴木 人は社会をつくりそのなかで生きています。ではその社会で人が他の人を動かすにはどんな方法があるか考えてみてください。①力ずくで、あるいは命令によって、そうさせる。②お金で(得をするから)そうしたくなるように仕向ける。③もう一つあるのですが、何だかわかりますか?──いちばん普通で、いちばん無理がないので、たいていの場合僕たちはその方法をとっているのに、あたりまえすぎて自分でもそのことに気がつかない。あらためて思えばこれは不思議な方法です。①力も、②お金も使わないのに、③この方法をとれば、相手は気持ちよく、喜んで、自分から(自分でもそれがどうしてかはよくわからずに)そうしてくれるのだから。謎をかけるような話し方をしてごめんなさい。③これが、今僕があなたと話しているときにも使っている魔法:言葉ではないだろうか。言葉というだけでは足りません。言葉を用いて礼を尽くすこと、これですね。これが人を動かす。子どもたちのゲームの世界のアイテムにも、①「ちから」と②「おかね」のほかに、③ほらもう一つ、あるでしょう?

―……「じゅもん(呪文)」!……。そうか、魔法の言葉ですね。

 鈴木 そうです。この魔法を孔子は「礼(禮)」と呼びました。儀礼・礼儀の「礼」ですね。儒教の「儒」は、「雨乞い」の呪術にたずさわる巫祝(フシュク)の徒という意味です。最初は蔑称だった。「礼(禮)」の字の左側、「示(シメス)」偏の「示」も、神を祭るときの祭卓(サイタク)を表す、もとは象形文字でした。

聖なる儀礼、貶めていえば「おまじないの呪術」を表すこの「礼」という言葉を用いて、孔子は、人と人との間で働いているこの不思議な魔法の存在に人々を気づかせよう、人々みずからがそれに気がつくようにさせようとしたのだと僕は思っています。

僕たちが毎回まつりの前にはお便りを出してみんなに参加を呼びかけ、それが終わると報告のお便りを出すのも、根本はそれが「礼」だからですね。この「礼を尽くす」こと。みんなになにかを「やらせる」のではなく、みんな自身の底にもじつはある「やりたい」という気持ちをていねいに拾い集めて、なにかが「できる」ようにしていくこと。難しいけれど、これは言葉でしかできない。かたぐるまの会を続けていくうえで何がいちばん大事と僕が思っているかといわれれば、「礼」:これに尽きるのではないかと思います。

―すみません、初めは言葉は悪いけれど“やんちゃ坊主”たちが始めた、ただの「遊びの広場」の話だと思って伺っていたら、突然「礼」という言葉が飛び出して、なんだかそれこそ魔法にかけられたような気がします。自由な「遊び」と厳粛な「礼」:180度ちがうようにもみえるこの二つは、いったいどこでどうつながるのでしょう?

 鈴木 「お祭り」という場がまさにそれだとは思いませんか。「礼」は必ず慣習化します。しきたりになり毎度おなじみのルーチン・ワークになっていきます。古くなる、というより最初から古いのが「礼」かもしれませんね。その古さが僕たちを安心させる。そのほうが楽だから従ってしまう。でも万事、そればっかりになってしまうと……

―……今度はつまらなくなってしまう。なんで自分がそんなことをしているのかわからなくなってしまう。

 鈴木 そのとおりです。なにかがしたいという思いが原動力となって僕たちは社会をつくって動いているのに、古びるといつかそれが忘れ去られてしまう。だから、さっきの呪文ではないけれど《ひらけごま!》、太古の昔から人の社会は「お祭り」を開いて、「礼」をリセットすることを繰り返してきたのでしょう。放っておけばたちまち自動化し・固定化して、古くなっていってしまう毎日の生活に、つかのま“非日常”の祝祭の空間を開いて、その命を取り戻させること。「お祭り」のもつ深い意味はそこにあります。そして、このときに働いて僕たちをそこへと衝き動かすもの、これが「遊ぶ心」ではないかと僕は思うのです。

「遊び」は一見、余分なこと、無駄なことに見える。でも機械にだって「遊び」はあります。遊びのない機械は、すぐに動かなくなってしまう……。
僕の敬愛する白川静さんに《遊ぶのは、神が遊ぶのである》というすごい言葉があります(『文字逍遥』平凡社ライブラリー)。子どもたちが遊ぶのも、あれはきっと彼らが神さまだからですね。

And so on

―もう一つ、お聞きしたいと思っていたことがありました。「かたぐるまの会」は六小PTAの中の実行委員会の一つとして活動を開始したわけですが、3年後の2005年にはその外に出て、地域の一任意団体となって活動を続けています。何がそうさせたのでしょう?私たちにはいまひとつわかりにくい、この会とPTAとの関わりについて話していただけますか。

 鈴木 わかりました、事の初めからもういちど振り返ってみましょう。この会は、六小というはらっぱと、そこでの人のつながり(PTA)を産みの親として生まれました。ところがこの子はとんでもない“やんちゃ坊主”で、PTAの枠には収まりそうもない“鬼っ子”だった。ではどうしたらこの子を、その魂の鬼っ子さを失わせずに育てていくことができるか。そう考えた末に僕たちが見つけたいちばん自然な答えが、地域に重心を移し、縁の下の力持ちになって、六小での遊びを持続的に支えていく道だったのだと思います。

そもそもが僕たちの開いた「遊びの輪」は、PTAの「親子お楽しみ会」と見かけは似ていてもそれとは別のものでした。お楽しみ会は、「輪」(学年やクラス)のほうが先にあってそっちから「遊び」がつかまれています。これは内に閉じた輪で、立場や役割のほうが先行しているから、親は親、子は子としてそこに入ってきます。

僕たちがやろうとしたのはこれとはまったく逆のこと、「遊び」のほうからその「輪」をつくりだすことでした。遊びたいという思いには大人も子どももありません。はらっぱに出て《いっしょにあそぼう!》の声を挙げたのは、僕たちの中の子どもの心。その心(遊ぶ心)が、誰もの底に眠る子どもの心に呼びかけたのでした。ここではみんなが子どもになる。対等の遊び仲間になる。そんな遊びの輪を僕たちは開こうとした。外に開く輪ですね。

だから僕たちは旗を揚げたときから、これは単発の打ち上げ花火で終わってはならないと思っていました。開いて生まれるこの輪は、それを開き続けることができなければ意味がないからです。

―PTAを出る前から、最初から、この会は外(学校の外:「地域」)に向かって開かれていたということですね。そして、会が外に出ると同時に、六小PTAの中には、あらためて(現役のお父さん・お母さんたちが作る)「遊びの学校」という実行委員会が誕生して、その活動を引き継ぐ体制をとるようになった。

 

『春よこい』のおもちつき:チームでついてチームをつくります。

 鈴木 そのとおりです。ただ「遊びの学校」という活動のメニュー自体は、かたぐるまの会がまだPTAの一実行委員会だったときからすでに始まっていました。おまつりやイベントとはちがうかたちで、もっと日常のなかにも小さな非日常の場を持続的につくりだしていきたいと僕たちは思ったのです。それこそ子どもの頃僕たちが毎日のようにそこに出て遊んだ、はらっぱのような空間を。地域の真ん中にあって、子どもたちがそこに通いそこで育っていく学校は、今の時代に残された数少ない、はらっぱになる可能性を秘めた場所の一つではないだろうか。ここがなければこんな会は生まれなかった。でもそこで終わってしまうようなら、この会の今はありませんでした。

ではどうしたら、空間的にも(横にも)・時間的にも(縦にも)閉じてしまわずに、延びていけるような仕組みが作れるか。そんなおよそPTA的ではない悪童たちの野望が結んだ実が「かたぐるまの会」であり、種として残したのが「遊びの学校」であると考えれば、今のこの二重構造の体制のもつ意味もわかっていただけるのではないでしょうか。この会は徹頭徹尾、「子どもの会」なのですね。子どもだから、僕たち自身も一緒に大きくなります。年をとります。つい先ごろも、会のお母さんの一人(最近はお母さんたちも増えています)が洩らした「私たちって“大人の幼なじみ”だね……」という感慨の言葉に、言い得て妙と一同思わずうなずいてしまったところです。

―今後の夢、やりたいことなどがあれば教えてください。

 鈴木 今後の夢はいろいろありますが、近くに一軒、無料で家を貸してくれる人がいたらうれしいな。僕たちも高齢になっていくし、そしたら介護も兼ねたかたぐるまの家みたいなのができたらいいなと考えたりしています。僕たちは基本、収益になることはしていないので無料で家を貸してくれる人を見つけるのは難しいかもしれませんが……。それから今、会のメンバーが美術系の人に偏っているので、今後は音楽もやれるといいなとか「発酵クラブ」を作っていろんなもの(人も含めて?)を発酵させたいなとか、いろいろ考えています。

鈴木さんのぶんハピ 国分寺歴 16年

地域のはらっぱ、六小の校庭

六小の校庭はそこに行くと誰かに会える。一緒に遊ぶこともできる。
人とつながる場所、地域の真ん中にひらいた「はらっぱ」です。
そこへ行けば、予想もしない、思いがけない出会いが生まれる場所なのでハッピーになります。

かたぐるまの会
https://www.facebook.com/katagurumanokai

 

インタビューを終えて

娘と息子が、六小に通っていたので鈴木さんのことは、以前からよく知っていたのですが、今回のインタビューで、初めてゆっくりといろいろなお話をすることが出来ました。ここでは残念ながら紹介できませんでしたが、鈴木さんの若き日の意外な一面?も知ることができ、予定した時間はあっという間に過ぎました。鈴木さんが大事にしている孔子の教えである「礼を尽くす」を体現するように言葉を尽くされたインタビューでした。ここ数年、かたぐるまの会主催のなつまつりですっかりお世話になっている私たちCHEERSですが、今後は、かたぐるまの会と一緒に何かイベントを企画できたらといいなと思っています。遊びから地域を創出するかたぐるまの会の輪が国分寺全体に広がっていくよう会の活動に期待大です。鈴木さん、今後ともよろしくお願いします♪

 

  取材:CHEERS